水源靈域・比和ゆめ街道
鉄がつないだ「出雲」への道 牛市で栄えた宿場町「比和」
奥出雲へつながる歴史街道として51番目の
「夢街道ルネサンス認定地区」に認定された
"比婆山の神話と最古の蔓牛誕生の地”です
日本最古の文献
古事記に登場する「比婆山」
日本誕生の女神 イザナミノミコトは、火の神を生んだことが原因でお亡くなりになり、“出雲国と伯伎国との境の比婆の山に葬りまつりき”と古事記に記述があることから、比婆山御陵は“靈域”といわれています。女神の夫、イザナギノミコトは、吾妻山の山頂から比婆山に眠る妻へ、「ああ、吾が妻よ」と追慕したという神話から、吾妻山の山名になったとされています。
ブナ林と靈域の山
比婆山
比婆山には、西日本有数のブナ林があることから1960年(昭和35年)7月、国の天然記念物に指定されています。広い範囲にブナ林が残っているのは、古事記にいう女神の御陵として信仰の対象であるところからブナ林が守られたためです。
「出雲国風土記」には、吾妻山と比婆山の鞍部を越えて、古事記で黄泉の使者を追っ払ったとされる“越原”へ、奥出雲からでる道があったとされています。
ヒワという地名のおこりは、比婆山のふもとにあるから、ヒバ→ヒハ→ヒワと変化したものと考えられています。
広島県無形民俗文化財/ 比婆斎庭神楽
国天然記念物/ 比婆山のブナ純林 広島県史跡/ 比婆山伝説地
火矢と呼ばれ牛市で栄えた
宿場町「比和」
比婆山の遙拝所の「比和山八幡神社」の裏山は日和山といい、神社の山号にも使われています。町の名も永禄8年(1565)までは「日和」と記され、永禄9年(1566)からは「火矢」と記されていましたが、慶長18年(1613)から現在の「比和」になったとされています。寛永10年(1633)広島藩が定めた道路の制度によって出雲路の駅所が比和に設けられ、明治43年(1910)家畜市場法が公布されてからは、牛市が開かれる比和下町界隈は多くの人で賑わいました。
無形民俗文化/ 比和の盆踊り
ぼにばな文化と和牛
お盆の時季、先祖のお墓へ手向ける草花を総称して「ぼにばな」と呼んでいます。
かつて里山にあった草地は、農家にとっては和牛の餌資源を確保する大切な場でした。
草地の草を鎌で手刈りしてその新鮮な野草を和牛に与えていましたから、草地は適正に管理され、お盆の頃となると、オミナエシ・ワレモコウ・キキョウなどの草花が咲きそろい、草地は「ぼにばな」摘みのかっこうの場所でした。この地にはヒゴタイが自生しているので、ヒゴタイを加えて「ぼにばな」としていました。
比和自然科学博物館で学習し
「水源靈域・比和ゆめ街道」を訪ねる
中国山地の自然環境と森林文化に関する多種多様な情報をまとめてある、比和郷土文化保存伝習施設や比和自然科学博物館で学習し、「水源靈域・比和ゆめ街道」を訪ねてみましょう。
比和を訪ねた足跡として、
絵や写真をアートにする
供養田植などの比和の文化財調査のため、芸術家 岡本太郎氏、民俗学者 宮本常一氏が来訪され、絵や写真を残されています。
比和を訪ねた足跡として、絵や写真をデジタルアートにして残しませんか。
「五七五のうたあそびアート」にする
比和では、平成19年(2007)に、こどもたちの「ひよめき」を少しでも長く、多くとどめてもらいたいと、「ヒワちゃん俳句工房 ひよめき」の第1号を発行し、いまに至っています。
俳句は季語のあるものが一般的ですが、季語のない俳句や定型を外れた俳句を含めた「五七五のうたあそび」を詠み、「デジタルアート」とあわせて遊びませんか。
「水源靈域・比和ゆめ街道」の伝統文化
比婆斎庭神楽
(広島県:無形民俗文化財)
比和町・高野町の神職が数百年来伝承してきた神事です。斎庭とは斎み清められたところに神の降臨を仰ぎ祭を行い神事の一部として神楽を奉することから名付けられています。
神楽は、清めの舞と能舞に分けられ、舞は素朴で、歌詞も古い形をとどめており、出雲神楽の古い特色をよく保っています。
比和牛供養田植
(広島県:無形民俗文化財)
供養田植は、大山信仰圏内に行われる信仰と音楽と労働の三要素を含む大がかりな神降ろしの儀式に用いられ、鳴り物揃いで賑やかに行われた儀式田植であり、700年前伯耆大山の社人をこの地に迎え太鼓踊りの技法を伝えたのが起源とされています。牛を「農宝」として大切に扱い、供養田植の際の供養牛は、神仏混淆のお祓いを受け、頭には大般若経を頂き、背中には「農宝」の幟をつけて代掻きをします。
三河内刀踊り扇踊り
(庄原市:無形民俗文化財)
中国山地の山間小盆地「三河内盆地」で戦国武将三河内氏の居城「三子山城」とともに戦国時代から地元で約500年間伝承されてきた民俗芸能です。この踊りは戦国時代に舞われていた形式を、ほぼ完全な状態で継承しています。
現在は、五穀豊穣・牛馬繁栄の祈願と、豊作を感謝し、慶雲寺の境内等で奉納の踊りとして伝承されています。
比和の盆踊り
戦争で中断されていた盆踊りは、比和町の各地で伝承されています。比和の盆踊りのはじまりは不明ですが、先人の靈を供養するため、昭和57年(1982)から町内全域を対象とした「町民盆踊り大会」が開催され、その後「盆踊り花火大会」として、現在まで受け継がれています。
「バンバラ」という簡単な踊りと、「山づくし」という少し複雑な踊りの2種類があります。
「水源靈域・比和ゆめ街道」の立ち寄りポイント
庄原市立
比和自然科学博物館
「出雲街道」沿いには広島県で唯一の自然史系博物館があります。
博物館から徒歩3分の場所へ、食事処「えのきや」があり、郷土料理のワニや比婆牛料理が味わえ、隣接する「えのきやショッピング」では、ワニなどの買い物もできます。また、宿場町 比和にある「JAひろしま比和支所」では、比婆牛の販売もあります。
比和温泉施設
あけぼの荘
「西城往来」沿いの比和温泉施設あけぼの荘は、神経痛などに効能があるとされる温泉機能だけでなく、世代を超えて憩いと癒しの場を提供する「健康づくり施設」で、浴室の園庭にはクロモジなど樹木が植栽されており、木の香りやぬくもりを感じます。
グリーンポート吾妻路
・比和の特産市場
吾妻山や比婆山へ向かう、千三百年前の古道とされる「吾妻路」と、国道432号の「出雲街道」、口和へ向かう「宮内往来」の分岐点に位置し、「あづま蔓牛像」が目印の"緑の港"を意味する24時間のトイレ休憩所です。敷地内には限定営業で比和の特産品を販売する「比和の特産市場」もあります。
せとうち古民家ステイズ
Hiroshima長者屋
「西城往来」の三河内の棚田が一望できる場所に、「せとうち古民家ステイズHiroshima長者屋」があります。長者屋には、牛を飼うための「駄屋」が家の中にあり、牛を大切に育てていました。現在、その場所は、駄屋ギャラリーとして生まれ変わっています。
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